生年月日 | 1995年5月28日 |
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デビュー | 2015年9月 |
概要 |
高校時代は野球部所属(#STRONGHEARTSの鬼塚一聖とは同じ高校の同級生でお互い野球部に所属していた。)。 2015年9月、DRAGON GATEでデビュー。 2017年10月、大会の試合中にアクシデントから救急搬送されて頚椎振盪により、長期欠場となる。 2018年5月、CIMAと共に#STRONGHEARTSとしてOWE所属となり海外を中心とした活動をすることを発表。 2019年4月、試合中に頭部から落下、救急搬送され再度欠場することとなった。 2021年3月12日、自主興行「ACTION MAX!」新宿FACE大会にて、CIMAを含めた#STRONGHEARTSの4名がGLEAT入団を発表するが、山村はレスラー活動休業中のため入団はしなかったが、#STRONGHEARTSとしてのユニット所属は継続。 現在レスラーとしては欠場中だが、GLEATで開場中にDJとして会場を盛り上げている他、大会によってはリングアナウンサーを務めるなど裏側からGLEATを支えている。 2021年12月30日、GLEAT Ver.2 TOKYO DOME CITY HALL大会のメインイベント、#STRONGHEARTSとBULK ORCHESTRAのカベジェラ・コントラ・カベジェラ敗者髪切り時間差イリミネーションマッチにて、試合終盤のBULK ORCHESTRAの介入により#STRONGHEARTSが不利な状況となった際、リングに登場しスターダストプレスを決めて勝利へ貢献した。 2022年5月1日付でリデットエンターテインメント株式会社と選手復帰を見据えた上で契約をし、GLEATの所属選手となったことを発表。 復帰に向け2度に渡り負傷箇所を手術。 23年12月30日、同期でデビュー戦の相手だった石田凱士を相手に約4年9ヶ月ぶりとなる復帰戦、そしてプロレスラーとしてGLEATデビュー戦を行った。 2024年7月の梅田ステラホールで6人タッグながらも、自身がプロレスラーに憧れを持つキッカケとなったHUBを相手に復帰後初の自力勝利を収めると、所属していたユニットである#STRONGHEARTSからの卒業を嘆願。 その後8月の梅田ステラホール大会では、BLACK GENERATION INTERNATIONALの鈴木鼓太郎から、復帰後初となるシングルでの勝利を収める。 この試合後に、BLACK GENERATION INTERNATIONALに攻撃を受けているところを、渡辺壮馬、ジュンジェ、JDリーに救出されると、3人と共にユニットを結成することを宣言。 同年9月の梅田ステラホール大会では、渡辺壮馬、ジュンジェと組み、#STRONGHEARTSのT-Hawk、エル・リンダマン、CIMAと6人タッグマッチを行い、敗れはしたものの試合後に正式に#STRONGHEARTS卒業を宣言した。 |